中野と味噌の文化

この組み合わせによって、通常、ヒトの体内では生成できない8種類の必須アミノ酸を全て摂取することができるようになるからです。先人の生み出したこのような知恵は、近年の科学の発達によって証明され、単なる伝統食というだけではなく素晴らしい日本の食文化であることがわかってきました。
 さて、東京の味噌の歴史は江戸時代に始まります。
 徳川幕府の開設により、地方から多くの商人が江戸にやってくるようになりました。さらには参勤交代とともに、地方のさまざまな産物も持ち込まれるようになりました。
 すでに味噌は全国でつくられていて、独自の原料や製法による各地の「手前みそ」が、色・味・香りを競って江戸市中の店頭をにぎわしました。中でも、伊達藩の「仙台味噌」は高い評価を得ていたということです。やがて、江戸で暮らす人々に「江戸っ子」気質が生まれたように、料理にも「江戸前」というものがつくりだされるようになります。江戸市中でも味噌づくりが始まり、その中から米麹をたっぷり使い塩分が少ない「江戸甘みそ」が誕生し、しっとりしたやわらかな舌触りが大評判となります。
 時代が進み、現代の東京では信州みそが主流になっています。
 これは、関東大震災と第二次世界大戦下の空襲で2度にわたってまちのほとんどが灰じんと化した東京に、そのたびに信州から品質の良い味噌が支援物資として送り込まれたことがきっかけとなっています。がれきの中から復興をはたしていく東京の人々の生活の中で、その風味のよさが評判となり「信州味噌」が飛躍的に伸びました。
 その一方で、今でも、東京のお店には全国各地の味噌が並び私たちを楽しませてくれています。これは江戸時代から変わらぬ東京の味噌文化が続いているということです。
 ところで、中野には味噌にたずさわる会社がいくつもあります。
 そのひとつが、青梅街道沿い鍋横近くの「(株)あぶまた味噌」です。「江戸甘味噌」を得意としており、今でも、有名な御蕎麦屋さんでは、そば味噌に使われております。創立明治18年の老舗味噌メーカーです。
 「宮坂醸造(株)」は、大正5年に長野県諏訪市で味噌の醸造を始めました。昭和7年に野方に味噌工場を建設し、神州一ブランドの「み子ちゃん」で親しまれています。現在、味噌の製造は長野上諏訪丸高蔵や山梨甲府工場に移していますが、本社は野方に構えています。
 「東京タケヤ販売(株)」は、大正12年に上高田で亀屋として営業を開始しました。昭和24年に「(株) 牛山商店」、昭和63年に現在の社名になりました。明治5年、諏訪で創業の「ひと味ちがうタケヤみそ」を主力に、北は北海道から南は九州まで、全国の味噌を取り扱う味噌専門の卸問屋です。 
 中野の地に縁の深い伝統の健康食である味噌が注目され、素晴らしい日本の食文化に関する情報を発信していくことになれば、大変喜ばしいことです。